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地方住みアラサーオタクの日常

「シェルブールの雨傘」感想 その恋が運命じゃなくても幸せになれる

 

 

シェルブールの雨傘 [Blu-ray]

シェルブールの雨傘 [Blu-ray]

  • 発売日: 2011/07/02
  • メディア: Blu-ray
 

 

「映画は社会の二次創作」という言葉を最近見て、とても感心した。

たしかに。

 

映画だけじゃなく、フィクションに求めるものってそのときどきで、笑いたいときもあるし、泣きたいときもあるし、ドキドキしたいときもあるし、何かを考えたいときもある。

わたしはフィクションにおける日常ものというか、ほのぼの系みたいな作品が苦手で、フィクションのなかであってはドラマチックであってほしいし、起承転結があってほしい。ハッピーエンドであればもっといい。だけど、創作物として発表されているものってそれだけじゃもちろんないし、そういうものにも触れていきたいと思っている。

人生って何もかもを経験できるわけではないから。

 

この映画はおしゃれ映画としてもときどきあがるタイトルで、パッケージは見かけたことはあった。ただ、フランス映画のテンポって自分の好みに合う、合わないの差が大きいのと、よく利用している配信サイトで配信がないのとで、見ようというところまではなかなか至らないままだったんだけど、好きな作家さんが好きな作品として挙げていたから、外出ついでにツタヤで借りてきた。そうでなかったら一生見なかったかもしれない。

台詞はなく、全編歌で表現するミュージカル映画で、よくミュージカルは急に歌いだすから苦手って声を聞くけど(わたしは大好き)、会話もすべて歌だから、これミュージカル苦手な人ってどう思うんだろうなって気になった。

わたしは前情報としてそのことを知らなかったので、第一声から何でもないことを急に歌いだすから、ちょっと混乱してwiki開いた。

借りたのはデジタルリマスター版で、正直映像のこととかはよくわからないけど、そもそもフィルムの映像というものがたぶんすごく好きで、なんとなく昭和の特撮が好きなのもフィルムの映像が好きだからなのかもしれないな、と思ったりした。見てわかるほど目は肥えていないとも思うけど。

 

ヒロインが可愛くて、ファッションも可愛くて、お母さんもピンクの服を着こなしたりするくらいオシャレでおうちの内装も可愛い。街並みも可愛くて、オシャレ映画として挙がるわけだなという感じ。

内容はよくある、というかよくあったんだろうな。という話で、ネットもスマホも普及した現代の、それも日本では同じような状況ってなかなか起こりにくいだろうけど、環境の違いはあっても、まあ、いまでもあるんだろうな。と思った。お金持ちの紳士に見初められるのはないかもしれないけど。

 

この恋は永遠だと思っても、若さの勢いのときもあるし、その恋が本物なのは事実だとしても生活するとなるとそればかりではいられなくもなるのだろうな、という社会がそこにあった。

わたしなら待っちゃうだろうか、と思ったけど、お腹に子どもがいて育てるとなったらやっぱりジュヌビエーヴのような選択をするかもしれないとアラサーの今なら思う。たぶん高校生くらいだとジュヌビエーヴに憤っていた。

マドレーヌは良い子すぎて、それでいいのか?となった。ギイが「結婚したのか、オレ以外の奴と」状態だったのは可哀そうだけれど、仕事も辞めて酒と娼婦におぼれての完全に失意のダメ男状態でマドレーヌにここにいてほしいと懇願してマドレーヌが了承するところ、ギイは立ち直ったからよかったものの、わたしがマドレーヌの友達なら止めてる。もともと献身的にギイの伯母さんの看病に通ってきてたのも健気だけれど、一歩間違えればダメンズメーカーだし。ギイがそのあとの「今のあなたは嫌い」が通じる相手でよかった。いや、これが言えるから、ギイがただのダメンズだったとしても、マドレーヌは普通に出ていけたかもしれない。もともと懇願されなければ出て行ってたはずだったし。

 

それぞれがいないとだめだと思った恋人たちでも、それぞれに幸せになることができるのだなあと思う。

恋愛映画って「この恋こそが運命」みたいなものになりがちだし、そういう恋に憧れるものだけれど、世の中の恋のほとんどはそういうものではなくて、それでも幸せになれるのだ。

最後のシーンがとても好きだった。これからきっとあの二人が会うことはないのだろうな、と思う。いやわかんないけど。でもたぶんジュヌビエーヴはあのガソリンスタンドに、というか、あの街にはもう行かないだろうと思う。でもそれぞれに幸せで、それがきっと人生だ。