あしたのこと。

地方住みアラサーオタクの日常

「劇場」感想(※ネタバレあり) 自分の恋愛情緒の死を確認したと思ったら監督と感性が合わないだけかもしれない話①

タイトルが長すぎる。

「窮鼠はチーズの夢を見る」の感想も載せてたんだけど、長すぎるので分けました。

「劇場」は見たいと思いながら先延ばしにし続けていたら、推しも見たらしいとの情報を得たのでじゃあ観るか。となった。推しの力。

そもそも松岡茉優ちゃんの演技が大好きなんだよな。

ネタバレを多分に含みます。

 

 

劇場

劇場

  • 発売日: 2020/07/17
  • メディア: Prime Video
 

 

小劇団を立ち上げるも鳴かず飛ばずの永田と、ひょんなことから恋人になった純粋無垢な沙希。

そもそも出会いがそこから恋人になり得るの?世の中の恋人ってそんな?となったので、まずここで自分の恋愛情緒の死を感じてしまったんだけど、それはそれとして。

沙希の明るく朗らかで、怒りながら笑っちゃうような人柄に惹かれたのはあるとしても、一番は自分のことを尊敬してくれる気持ちよさだったのかなあと思う。表に立てば酷評ばかりの世界で生きるのは辛いし、沙希に寄りかかったのはその居心地のよさがあったんだろうな。そしてその自覚と負い目もあって、それでもちゃんとできない、上手くいかない自分も沙希は受け入れてくれるからずるずると寄りかかって。

本当に生粋の最低クズ野郎で、ヒモでいることに罪悪感を抱かないタイプならまた話は違っただろうけど、なんとなく負い目を背負ったままぬるま湯に浸かり続けてしまい、そのことをさらに負い目に感じる、そんな不器用なところが、正直非常に面倒な人間だなと思った。でもすごくわかる、そういう面倒で器の小さなところをわたしも持っている。

永田が友人と旗揚げした劇団おろかの舞台を作・演出するときの永田の名義は”永田X”なんだけど、これは誰でもなく、誰でもあることでもあるのかな、と思っている。

山崎賢人さんといえば、一時期実写化映画の主人公をやりまくってたイメージが強かったけど、髭生やしてぼろぼろの恰好してぼそぼそ喋るの、すごい似合っていて驚きました。

前半の永田は普通に最低だな、関わり合いたくないな、めんどくさいなって感じだったけど、後半、沙希に対して優しくなるところは、沙希以外の人間に対してはアレなもののわりと嫌いじゃなかった。

ただあれって、沙希が不安定になったことで、それまでの“沙希はちゃんとしているのに自分はちゃんとしていない”という負い目がなくなったから見せられる優しい面なんだろうな、と思っていて。

沙希については、えーとまず、この作品は永田目線で進むし、できれば映画館で見てほしいと言われる最後の仕掛けのこともあって(わたしは配信で見たけど薄々そんな気はしてた)、どこまでが沙希自身の本心か、というところは測りかねるところはあるんだけど、ラストの本心のような部分は沙希自身の言葉なのか、永田の想像なのかわからないけれど、永田を支えることで沙希も救われていた部分はたしかにあったのだと思う。

ただ搾取する側とされる側という関係というわけではなかった(周りの人間にとってはそう見えてたとしても)から。

自転車二人乗りのシーンが好きです。沙希はもう限界を迎えていて、お互いにこの関係が長くはないことに気づいていた。何も答えない沙希に、とつとつと思い出や幸せについて語る永田と後ろで静かに涙を流す沙希。不器用だったけれど、たしかに二人は幸せだった。

最後の、実家に帰って、実家の近くで勤めることになった沙希が、家の片付けのために東京に戻ってきたシーン、出会ったころのように天真爛漫に笑う沙希は永田の願いなのだと思う。たぶん彼らは再会しなかったのではないだろうか。そして、あのシーンでの沙希への独白も本人に実際に届けられたわけではなかったのだろうと思う。そうなると沙希の「いつまで経っても何にも変わらないじゃん。でもね、変わったらもっと嫌だよ」はどういう意味を持ってくるのだろうか、と思うと何もかも永田の独りよがりになるのかもしれないけれど、それは結果として沙希に届いたから、意味はあったのかもしれない。

「劇場」は永田の、あと劇団おろかの評価につながったのだろうか。満員の客席を最後に立ったヒロインは、もう一度誰もいない舞台を見て、静かに去っていった。それが恋人だった二人の終演でもあった。